第2章 発達心理学の諸理論
2-1. ピアジェの発生的認識論
ピアジェ(Jean Piaget, 1896-1980)はスイス生まれの発達心理学者 研究者としてのスタートは生物学者
生物学的観点に立脚した発生的認識論を提唱した(Piaget, 1970) 認識論(epistemology): 哲学の一分野であり、人の認識や知識がどのようなものかについて探求 認識や知識がどう育つか(生物学的に言えばどう発生するか)
ピアジェの理論の特徴
発達の主体としての子どもの能動性を強調したこと
知的な発達が単に内側からの成熟や外界からの刺激によって成立するのではなく、子どもが自ら周囲に働きかけ、環境との相互作用を通して順を追って展開していくことを明らかにした
発達段階(各段階は異なる構造的特徴を持ち、発達に伴い次の段階に統合されていく)
感覚運動期: 主に身体を使って外界と関わる(0~2歳頃) 前操作期: 言葉やイメージ(表象)による思考が始まる(2歳頃~7歳頃) 具体的操作期: 概念や記号を使って抽象的かつ論理的に物事を考えるようになる(7歳頃~11歳頃) 形式的操作期: 帰納、円駅など言語や記号を用いた抽象的な論理的思考が可能となる時期(11歳頃〜) いずれの段階においても、均衡化の過程を繰り返すことで思考はより高次のレベルへと発達していく
同化: 子どもは自分が持っているシェマ(認識の枠組み、スキーマ)を外界に当てはめて適応しようとする 調節: 同化がうまくいかないときに自分のシェマを変化させて適応しようとする 限界点も指摘
社会的文脈を軽視していた点
論理・数学的知能や物理的世界の理解に焦点を当てていた点
乳幼児期の能力を過小評価し、青年期の能力を過大評価していた点
発達段階を普遍的なものと捉えていた点
2-2. ヴィゴツキーの発達の最近接領域
ヴィゴツキー(Lev S. Vygotsky, 1896-1934)は思考や言語の発達を研究したロシアの心理学者 1960年代以降、著作の刊行と外国語への翻訳が進み、その社会文化的アプローチが評価されるようになった。 ピアジェが子どもの知的発達における他者の役割をあまり考慮しなかったのに対し、ヴィゴツキーは社会文化的・歴史的文脈の重要性を強調した
1930年代になされた子どものひとりごとを巡る論争
幼児はしばしば集団の中で伝達を目的としない言葉を発することがある
ピアジェは子どもの未熟さ(自己中心性)の現れとみなしたが、ヴィゴツキーは「外言」から「内言」に移行する過渡期の現象であるとして反論 外言: 伝達を目的とする言語で子どもはまず大人とのやり取りの中でこうした言葉を用い始める 内言: やがて言語は自分の行動を計画したり、調整したり、考えたりするための道具として使われるようになる 通常音声化されないので内言
幼児の独り言は思考が内面化する過程を表している主張は後にピアジェも同意するところとなり論争は決着
教育に関する議論にも見られる。
ヴィゴツキーは教育の焦点が子どもが自力でできること(到達した水準)に当てられていることを批判し、発達の最接近領域という概念を提唱した。
子どもの知的水準には二種類
独力でやり遂げることのできる現在の水準
大人の指導や援助、仲間との共同(模倣を含む)があればやり遂げることのできる明日の水準
この両水準の開きを発達の最近接領域と呼び、教育はこの領域に入る課題を取り上げ、発達を押し上げる役割を果たすべきだと主張
現在の水準が同じ子どもでも、明日の水準、すなわち最近接領域が異なっている事があるとし、個に応じた働きかけの重要性を指摘
後にこうした働きかけは「足場かけ」と呼ばれた(Wood et al., 1976) 子ども独力でできるようになったときに足場外しを行う事も含めて、保育や教育、職場での新人教育などにおいて意図的無意図的に行われている
2-3. エリクソンのライフサイクル論
エリクソン(Erik H. Erikson, 1902-94)はドイツに生まれ画家を目指してヨーロッパを放浪した後、アメリカで活躍した心理学者 精神分析を始めたフロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)の弟子筋にあたり児童精神分析家として活動する一方、ネイティブ・アメリカンの文化人類学的研究、ヒトラーやルター、ガンジーら著名人の伝記研究などを通して、独自のライフサイクル論を打ち立てた(Erikson, 1950; 1958; 1969) フロイトの人格発達理論を発展させたもので、乳幼児期の影響を重視している点において共通 フロイトとは異なる点
生物学的側面だけでなく社会文化的・歴史的側面にも注目したこと
発達を青年期までではなく生涯にわたって捉えたこと
漸成説: 環境との相互作用の中で発達が進み、前の発達段階での経験が次の発達段階に統合されるという考え ピアジェ理論とも通底する
人間のライフサイクルは8つの段階に分けられ、各段階に異なる心理社会的危機が設定されている
乳幼児期の危機は「基本的信頼 vs. 基本的不信」
不信と信頼の双方を経験しながら最終的に葛藤を乗り越えることができたとき「希望」という力が獲得される
各段階は心理社会的危機とともにそれを克服することにより獲得される力(強さ)も示されている
各段階で得た力は次の危機に立ち向かうための土台になると考えられている
2-4. ブロンフェンブレンナーの生態学的発達理論
ブロンフェンブレンナー(Urie Bronfebrenner, 1917-2005)はモスクワ生まれ、アメリカ育ちの心理学者 20世紀半ばの発達研究が実験室実験を中心に行われていたことを批判し、「場の理論」を提唱したレヴィン(Kurt Levin, 1880-1947)に依拠しながら人が育つ文脈をより現実的に、かつダイナミックに捉える必要があると主張した(Bronfebrenner, 1979) 個人を取り巻く環境は入れ子構造をなしており、それらの環境同士、また環境と個人が相互に影響を及ぼし合いながら発達が進むと考える
理論が生まれた背景に、彼が父親の勤務する障害者施設の敷地内で育ったこと、研究者としてソビエト連邦をはじめとする諸外国との比較文化研究に取り組み(Bronfebrenner, 1970)、子どもの社会化について多角的に検討していたこと、アメリカの公共政策(ヘッドスタート計画)に積極的に関与していたことなどがあるとされる 家庭や保育施設、遊び場、学校、友人、職場(大人)
重要なのは客観的特徴ではなく、その環境を個人がどう捉えているか(主観的特徴)
メゾシステム: マイクロシステムに属する環境同士の相互作用からなる 家庭と学校、友人と遊び場、職場と家庭
親の職場、兄弟の学校、学校の友人、教育委員会、各種行政サービス
個人の発達に間接的に影響を及ぼす
マクロシステム: 下位のマイクロ、メゾ、エクソシステムに一貫性を与える信念体系やイデオロギー 国家や民族、宗教、文化、社会階層などによって異なっており、その集団に固有の生態学的環境を提供する
後に追加された
災害や戦争、経済的不況といった社会的・歴史的出来事のほかに、結婚や離婚、出産や家族の死といった個人のライフイベントも含まれる
すべての要因を組み込んだ研究を行うのは不可能だが、どのレベルでの環境要因を問題にしているのかを意識しておくことは重要
実験研究の生態学的妥当性を問題にした点、個人を取り巻く環境がマイクロレベルにとどまらず、重層構造をなしており、それらが互いに影響を及ぼし合っていることを示した点で大きな貢献があった
2-5. バルテスの生涯発達理論
バルテス(Paul B. Baltes, 1939-2006)はドイツに生まれ、アメリカとドイツで活動した心理学者 妻のマーグレット(Margret M. Baltes, 1939-99)らとともに、高齢者の知能に関する研究を精力的に行い、加齢によってすべての知能が衰えるわけではないことを示した。 高齢者は目標を絞り込み、持てる資源を効率的に配分することで、加齢に積極的に対応していることも明らかにした(Baltes et al., 1980)
バルテスは心理学以外の領域(脳科学、遺伝学、医学、生物学、社会学など)の研究者とも積極的に交流し、生涯発達研究のあらたな地平を切り開いた(鈴木, 2008)
彼が目指したのは進化と歴史、文化的文脈を統合した生涯発達モデルを作ること
個人の発達は遺伝と環境の相互作用を前提とし、時間軸に沿って、年齢的要因と歴史的要因、非標準的(個人的)要因の3つが作用しながら進むというモデルを提示 年齢的要因: 同年齢の人に概ね共通して見られる要因 身体的成長や性的成熟、就学、就労など
歴史的要因: どの時代にどのような環境のもとで過ごしたかによって規定される要因 教育やインターネットの普及、戦争や災害の体験など
転職、引っ越し、病気、事故、失業、離婚、施設入所、身近な人の死など
予測がつきにくいだけに発達への影響も大きいとされる
年齢的要因は子供時代が最も大きいが青年期に入るにつれて減少し、歴史的要因の比重が増す。老年期に入ると再び上昇するがそれ以上に非標準的要因の影響が大きくなってくる。
あくまでも仮説であるが、その後の研究はこのモデルの妥当性をある程度支持している。
バルテスの歴史的要因を歴史・文化的要因として捉え直した箕浦(1990)は子どもの文化獲得が児童期後半から思春期にかけて大きく進むことを明らかにしている(→第15章 発達と環境:文化の影響) バルテスの生涯発達理論は他者との共同性という視点が薄いという指摘があるものの(堀, 2009)、成人期、とりわけ老年期の発達に関する研究を通して、発達の可塑性、多次元性、他方向性を明らかにし、発達そのものの概念を変えるのに大きく貢献した。